この度私共Mayは、それぞれの歩む道をふまえ解散することに致しました。
1993年から29年間、こんなに長く活動を続けてこられたのは、皆さまのお陰です。
観に来てくださった皆様、作品に花を添えてくださった客演の皆様、支えてくださったスタッフの皆様、お手伝いで参加してくださった皆様。劇団員として共に作品を作った方々。
そしてMayを応援し続けてくださったお一人お一人に、心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
劇団員たちはそれぞれ活動を続けて参りますので、今後も見守っていただければ幸いです。
2022年4月20日
May一同
突然ではありますが、劇団Mayは29年の活動に幕を降ろす事となりました。
団員ひとりひとりにこれから歩む大切な道ができたというのが理由です。
この数年は劇団員それぞれの生活の変化もあり、これまでのような活動は難しくなっておりました。
おうさか学生演劇祭で出会った若い才能たちといくつかの作品を共にしながら[May]という場所を、団員たちは出演はしませんでしたがいつもサポートしてくれていました。
副座長の木場とも何度も話し合い、一度は僕がひとりで[May]の名を存続しようとも思いましたが、僕のわがままで解散という形を提案しました。
僕が作った劇団にあとから副座長の木場が入団したのなら、これからもひとりで名を続けてもよかったのですが、Mayは当時同じ大学生だった木場と(そして今は退団しておりますが)もう一人の子と一緒に作りました。
在日朝鮮人と日本人が一緒に作ったこの空間は本当に色んな事がありました。
僕は何気ない一言に何度も傷つき、僕の何気ない一言で何度も傷つけました。
違う血を持つ者どうしが尊重し合う道は葛藤の連続でした。
そんな葛藤を乗り越えて、いつしかMayは「一緒に生きる」劇団となりました。
ときには外の遠くから、僕の立場に否定的な声が聴こえてきた事も何度もあります。
そんな中、在日の世界観を作品にしていく中で、日本人の仲間たちがたくさん苦しみました。
何度説明しても「一緒に生きる」の部分は見ずに、「在日」の題材ばかりを見て、「在日の劇団」「在日の人たちが集まった劇団」という意図的で無責任な誤解で語る人たちも少なくはありませんでした。
それでも僕が書く作品を全力で演じて、客演の人たちも楽しんで出演してくれて、多くのスタッフの方たちに支えられて、お運びいただいたお客さまも作品を愛してくださいました。
だから僕は[在日]の世界観の中で、日本人の良心と葛藤を描き、日本人の良心と葛藤を演じるのは僕の宿命としたし、それはこれからも変わりません。
もし僕がひとりで[May]の名を残せば、[在日朝鮮人の劇団]となってしまい[一緒に生きる]を描いても歪曲されてしまうのではないかと思いました。
そうなれば、これまでを一緒に歩んだ仲間たちとの時間が無駄になってしまう気がしました。
そして「解散」という形を団員ひとりひとりと話した中で
「母体がなくなってもこれからも仲間なんだ」
と感じたので、このような形を取ることになりました。
[May]というのは旗揚げから、あらゆる事が下手くそでした。
なんなら存続も下手くそでした。
でも、上手く立ち回れるなら[May]はこのような時代で[一緒に生きる劇団]にはなれなかったと思います。
子役の時に入団した崔智世にもMayは大切な家族だったので、大人たちは何度も悩みましたが、僕たちは僕たちの家族を作り、頑張って活動して、時を経て、チセという大切な娘、大切な次世代が育ちました。
だからこれからは彼女の家族を作る時代だとも思います。
そして我々はこれからも彼女の家族です。
合同公演を共にした激団リジョロの皆さま、「ミナとまうソリ」のメンバーの皆さま、関西演劇祭in TOKYOの皆さま、「タンデム・ボーダー・バード」の皆さまには、最後である事をずっと黙ったままで申し訳ありませんでした。
新作としての最終作は「ミナとまうソリ」、Mayとしての最終公演は「タンデム・ボーダー・バード」となりました。
Mayは活動の年数と比較して、決して多くの方に作品を届ける事ができたとは言えません。
どんどん有名になっていく周りを見て、自分の無力さに落ち込む29年でもありました。
でも[May]という空間はひとつの歴史になれたと思っています。
最後に勝手なお願いではありますが、たまに
「とある時代に、一緒に生きた劇団が在ったよ」
と思い出していただければ嬉しいです。
今はもうどこにいるかもわからないかつての仲間たち。喧嘩別れした仲間たち。支えてくださった皆さま。
応援してくださった皆さま。
早くに去っていってもう会えない人たち。作品を観てくださった皆さま。
一緒に生きた仲間たち。
これから歩んでいく、いつまでもかわいい次世代たち。
本当にありがとうございました。
May 座長 金哲義
この度、私どもはMayを解散することにいたしました。
もうずいぶんと長いこと、Mayを名乗ってやってきましたが、右も左も分からず旗揚げした1993年から考えれば、Mayを取り巻く環境も、私自身の状況も大きく変化しました。コロナ禍など考えもつかなかったですしね。
そんな中で、30年近く一本の軸としてMayであったことを嬉しく思います。今でも想いは変わりません。
解散を決めるまでは、何度も座長と話し合い葛藤しましたが、作品だけでなく、関わった皆や時間を含めた空間をMayだと感じていること、それを大事にしているからこその提案と受けとり、同意した次第です。
金哲義の描く作品は、自分は何人なのか自問し、且つ「それがどうした、そんなんどうでもええやん」と着地し、共に歩む道を考えさせてくれる、そんな不思議なバイタリティと魅力に満ちています。
役者として関わる中で、泣いて笑って悩んで笑う、そんな経験をたくさんさせてもらいました。
それは作品作りに関わった皆さま、そして見てくださったお客さまにも、伝わったのではないでしょうか。
気づけば崔智世は、私が金哲義に出会った歳を過ぎ、Mayを立ち上げた年齢となりました。感慨深いタイミングです。これからは彼女らの時代。新たに切り開かれる世界が楽しみです。
最後になりましたが、Mayを見てくださった皆さま、共に作品を作ってくれた皆さま、応援し続けてくれた皆さま、そして共に苦労してくれた劇団員の皆さん、この長旅をご一緒できて嬉しかったです。本当にありがとうございました。
皆さまのご多幸を心よりお祈りしております。
ありがとうございました。
May 副座長 木場夕子